村瀬嘉代子:
日本臨床心理士会編
「臨床心理士に出会うには」創元社より抜粋

相談するということ

1.相談しようと決意する

  数十年前から、アメリカではカウンセリングや心理療法を受けることにさほど大きな抵抗はなく、むしろ一種のステータスシンボルと考える風潮すらありました。
わが国では、昨今徐々に変わりつつありますが、やはり心理的な問題を人に打ち明けて話すのは潔しとしない、自分に失敗者の烙印を押す、あるいは他者に頼るなど恥ずかしい行為だという認識があるようです。

  しかし程度の違いはあれ、人は生きてゆく上で、真摯で誠実であればこそ、さまざまな疑問や葛藤に遭遇するといえましょう。そして人生とは不条理であり、ときとして個人では容易に対応しきれない重い問題を予期せぬ災禍によって担わされる場合があります。

  自律的でありたい、自力で解決したい、という姿勢は大切です。しかし、一人きりで気がかりなことを抱え込み、適切な解決のタイミングを逃したり、その問題解決に必要な情報を知らずに不要に苦しんだりするより、一緒に問題を考える相談者を見つけて人生の節目を越えてゆくのは、生きる知恵ともいえましょう。
いたずらに一人で悩まないで、相談することに踏み切ることも、自分を大切にする術です。専門家は来談者の秘密を大切に守ります。

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2.相談をはじめる前に

  臨床心理士のおこなう相談とは、「こころに傷や苦しみをもつ人のそばに寄り添い、その人が生きやすくなっていかれるよう、そっと見守り手助けする、一緒に考える、あるいはクライエント(心理的援助を求める人)がそれまで気づかなかった自分の可能性を見いだし、育ててゆく手伝いをする。その際、そのために体系化されている理論と技法を用いる」といえましょう。

  さらに付け加えますと、その特質は「来談者と心理療法家との信頼関係をもとにして、目的をもって始まり、その関係は原則的に目的を相互にたしかめあいながら、しかも心理臨床家が責任を負って展開してゆく過程である」といえましょう。

  こころの傷を癒したり、よりよい生き方を見いだすには、文学、美術、音楽、宗教なども人の生活のなかで大きな意味を持っています。教育や宗教も人の潜在可能性を引きだし育みます。
一方、とりたてて専門教育を受けずとも、人情の機微をわきまえていて、そのたたずまいや何気ない言動が相手に安心感をもたらすという人も現実には少なくありません。
  親友に思い切って話してみたら、同じ悩みを乗りこえた経験を打ち明けてくれ、指針が見いだせて気持ちが軽くなったとか、職場の上司がそれとなくよい聴き手になってくれ、気がかりな問題への対処のコツを伝授してくれた、など、市井の生活の人間関係の中で、こころの危機的状況を乗り切る機会は多くありえます。

  しかし、問題が複雑化、長期化の傾向がある場合には、専門家に相談することが必要になりましょう。専門家に会うというと、気後れもありましょう。しかし、精神的危機は精神的成長の契機であり、変容できるチャンスでもあります。

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3.相談をはじめる

  相談をはじめるに際して、担当者は誰であるか、場所・時間は1回何分であるのか、頻度は週1回もしくは、隔週1回なのか、曜日や日時、時間帯をどうするか、面接料金をどう設定するか、さらには主訴に即応して、その機関でどのような技法を提供できるのか、という基本事項について約束します。
この取り決めをするのに際しては、希望や疑問を率直に話され、納得して、相談を開始されることが大切でしょう。 ちなみに料金は、機関によって、幅があります。公立の相談機関では病院をのぞき、無料です。余談ではありますが、公的機関では、直接相談者から相談料を徴収しませんが、これは国や地方自治体がこれらの機関の運営にあたっているわけです。相談には公的資金が使われていることを相談者は十分自覚して、仕事にあたっています。

  前述のような相談の基本構造を決めるということに、何か堅苦しい印象を持たれる方もあるかもしれません。しかし、有限の時間であるからこそ、いかに有効に活かそうか、いたずらに物の授受をしない、安易に飲食などしない、決められた場所と時間に会うからこそ、純粋な精神的交流の意味があるわけです。
心理的な相談においては、目的をもった、深く的確な理解をおこなう関係であることこそが大切なのであり、なれた浅いべったりした関係にならないことが重要です。

  さて心理相談というのは目的をもった関係であり、相談される方は解決したい問題あるいは和らげたいこころの重荷を抱いて来談されます。ですから、まず相談者と何を目的とするか、とりあえずは何からどのような方法で相談をはじめるかについて、はじめに話し合われ、その合意をもとに、相談過程が始まります。
相談技法には、言語を主たる手段とするものから非言語的な手段によるもの、一対一の関係を主にするもの、グループアプローチを主にするものなど、いろいろ多岐に分かれています。主訴の性質や一人のクライアントでも、状態像の変化に応じて適宜、ふさわしいものが援用されることになります。治療方法に疑問があるときには率直に質問されるとよいでしょう。主体は相談されるクライアントの方なのです。

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4.相談が進む過程

  さて、相談が始まれば、薄紙をはぐように快方へ右上がり一直線に進むのことが望ましいのですが、人の心の綾は微妙で一様にそう運ぶとは限りません。一見したところ、相談過程は後退したかに思われることもあります。ボタンひとつ押せば部屋の温度は快適に変えられる、いやそれどころか宇宙にロケットすら発射できるのに、なんとももどかしい。治療者の力量が不足していると思われることもあるかもしれません。

  しかし、こころは微妙なもので、人やこと、ものとの関係のなかで、それも長い時間経過のなかで生まれ育ってきたものであり、機械的操作になじむものではありません。相談過程が停滞したかに思われるときは、たとえば次のようなことが考えられます。
子どもの相談などですと、それまで押さえて表面上強いて適応を装っていたのが、自分をありのままに表現することが受け入れられると安堵し、それまで抑制されていた情緒があふれだし、粗暴になる、攻撃的になるなどということがありえます。

   また、相談を始める前は問題の原因をすべて外に求めていたのが、次第に自分の内側を見つめるようになってくると、自分自身にふれることは時として恐ろしく、相談を続けることが苦しく疎ましく思われてくる場合もあります。 こういうクライアントのこころの動きに添って、問題の解決、消退へと運ぶようにするのが相談者の役割りですが、時には、相談者の年齢、性別、経験、オリエンテーションなどが影響し、俗に相性ということを考えねばならない場合もあります。率直に話し合ってごらんになることでしょう。

  相談が進むと、問題の内容、性質によっては、相談担当者のみで対応するのが適切でない状況が生じてくることがあります。医療を受診することが必要である、望ましいと考えられる場合や、問題の性質によっては、法律家の相談が必要な事柄、学校や雇用者との連絡が要る場合、そのほか、さまざまな関連機関と連携をもちながら解決にあたらねばならない問題があります。

   このような場合、クライアントに了解を求めて、守秘義務そのほか十分配慮の上、連携活動を進めることを専門家は留意しています。クライアントの方に了解を得ることなくみだりに問題の扱いを拡大することはいたしませんが、このように問題の性質や状況の変化に応じて、相談の進め方を変える必要が生じることを含んでおかれるとよいでしょう。

   お子さんや伴侶の方、そのほかどなたか家族の成員の方が心理相談を受けておられる家族について、少しふれましょう。
子どもは、経済的にはもちろんのこと、精神的にも、親や家族に大きく依存しています。したがって、子どもさんの相談治療の場合、家族の方々の協力が必要になってきます。問題行動を起こしているのは、子ども(あるいは伴侶)であって、迷惑をかけられているのは家族だ、とお考えになられるかもしれませんが、周囲の理解やさまざまな支えが事態の進展に大きく寄与することはまれではありません。

   たとえば、子どもの何らかの問題が、当の子どもは相談に一度も現れないのに、お母さんが来談されているうちに解決がついてゆくという場合すらあります。夫婦や兄妹、そのほか適応にむずかしさを抱いておられるご本人の生活に関係深い方々の理解や協力は、相談過程の展開のうえで大切な意味をもっています。

  相談される内容、障害の性質、さらには治療過程の進展による状況に即応して、相談者や相談機関で援用される技法は変化することがあり、工夫がこらされます。ただ、基本的には、クライアントの内在する力の発現を助け、その変容・発展を一緒に工夫する、クライアントの存在に畏敬に似た気持ちを抱きながらそっとついてゆく、というのが相談者の姿勢です。
クライアントの自律心自尊心を大切にしたいと願っているのです。

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5.相談を終える

  当初の目標になっていた事柄、あるいは途中で、より中心の問題が明らかになって取り組んできて、そろそろ一段落した、あとは自分の力でその時々に応じて問題に取り組めそうだ、取り組んでみたい、という状況に達したならば、相談を終える時期といえましょう。
その旨、相談者に話されて、できれば、何が達成できたのか、課題として今後どう考えていけばよいのか、万が一困ったときにどうするかなどについて検討し、納得して終結されればよいと思います。

  相談の途中で、転居や転勤などで、相談の継続が難しくなった場合などは、状態と希望について相談者と話し合われますと、転居先の相談機関を紹介されるということもありえます。

  他方、当初の問題は必ずしもすべて解決したわけではないが、ここでしばらく相談は終わりにしたい、という場合もありましょう。相談というものに抱いていた期待がそれほど十分には満たされなかった、なにか呼吸が合わない、あるいはまったく別の種類の活動に身をゆだねることで、心機一転をはかりたい、などさまざまな事情によりましょう。 相談者ご自身が納得のいかれる選択をされることだと思われます。

  また、ある時期、相談なるものに抵抗を感じて中断していたが、時間を経てその経験を咀嚼してみると、新たに意味が見いだされ、相談を再開したい、と思われるようになる場合もあります。
主体はクライエントなのですから、再会を希望されるときは遠慮せず、連絡をとってみられるとよいでしょう。

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6.おわりに

  心理相談過程とは、ひとつの成長過程です。その終結はすべて完結、終わりということでなく、むしろそこから自立を志した自分をより高める旅が始まるといえましょう。
これはクライエントだけでなく、相談者自身にとっても終生の課題です。自分を見つめ、自己探求するものとしての出会いが、少しでも意味あるものであるようにと、臨床心理士は願い、研鑽に努めようとしています。

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